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2018/01/03

不浄な世界で生きるということ



猫を飼っている方ならすでにご存知だろうが、猫という生き物は、トイレに関して非常に神経質な一面を持っている。
元来、砂漠の生き物であるらしい猫にとっては、用をたした後に砂をかけて痕跡を隠す行為そのものが本能として刷り込まれており、例え自身の生み出した汚物でなくとも、汚れていたり、自分にとって不要でありながらも自己主張の激しい物体に対しても同様に、例え砂が無くとも近場の物(布団や新聞紙)などをかけて意識から除外しようと試みる。
様々なタイプの猫用トイレの砂などが売られていることからもわかるように、猫の砂に対するこだわりは多種多様である。
例えば、常用していたものから馴染みの無い砂に変われば、その反応も様々となり、トイレを利用しないトイレストを起こす猫もいれば、用を足した後の砂で遊び出す猫もいる。
そんなわけで、猫のトイレに対する姿勢は、個体ごとのルールに倣って様々なこだわりを見せつつも、最後に砂をかけようとする点においては一貫している。
それはまるで様々な流派を経て独自の進化を遂げていきながらも、どの流派でも礼を重んじる日本武道や、多神教でありながらも、その根底には自然に対する畏怖の念や死者に対する慎み深さが根ざしている日本神道とどこか相通ずる点があり、非常に日本的と言えよう。

一方で、口からの汚物に関しては非常に無頓着であるという側面も併せ持つのが猫という生き物である。
言ってしまえば、うんちは極力砂のあるトイレでするが、ゲロは各自自由といった具合だ。
何らかの理由でトイレが利用不可となっていた場合に、二次候補の仮設トイレとしてチョイスされるロケーションにも独自の哲学を持つ猫であるが、ゲロに関しては非常にフランクで、思想的には自由の国アメリカに近い。
猫が吐いたゲロを、他の猫が食べようとした場面すらみたことがある。
とにもかくにも、猫と生活をともにしていると、思いもよらぬ場所で、猫のゲロと対面することになる。
特に、深夜トイレに起きたりなどして照明のついていない廊下や部屋を移動する時が最も危険である。
具体的な話はこの際野暮なので避けるが、消化液の織り交ざった食物を素足で踏む感触は、墓場どころか、仮にあるとしたら天国や地獄、はたまた来世まで忘れることのできない魂に刻まれる体験となるものである。
そういった体験を新年早々してしまった人間の気持ちなどわかろうはずもない。

ちなみに冒頭の絵は、猫の後ろ姿を模した人形かなと思って足で避けたらゲロだったときのシルエットである。
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