2017/03/22

The Elder Scrolls Online その2 不気味な声


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GreenShade地方でワスプと戦ってると、戦闘終了後に足元から子供ワスプ2体が脈絡なくスポーンして互いに喧嘩を始める。さらに、そのうちの一体がなぜか友好的で街にまでくっついてくるため妙に可愛く感じるんだけど、一定時間で消滅してしまうし原因不明だしでなんだか気持ち悪い。

恐らくこの子供ワスプをどこかに連れて行くことで進行するタイプのクエストがあったりするのだろうけど、少なくともそれっぽいクエストは受けた記憶が無い。


よくよく考えると2週間ほど前にも似たようなことがあった。

それは、Grahtwood地方で敵を倒した直後「また一つ命を奪ったな」といったプレイヤーの罪悪感を想起させるような男の声が聞こえてきて、辺りを見渡しても誰もいないということが何度か続いた。

敵を倒すたびに発生するわけでもなく、忘れた頃に声が聞こえてくる程度の頻度であったが、リアルで1日経過しても治らず、あまり他のゲームでも経験のない不可解な事態だったので、少し不気味に感じて軽くネットで検索をかけてみたりして原因究明に乗り出したけど、結局これといった情報も得られなかった。

とはいえ、声のするタイミングに作為的なものを感じたし、変なバグとして片付けるよりはこの地方特有の不可思議な現象と仮定し、作中でもしっかり言及されていたものの英文のためうっかり見落としてしまったのだろうと、そのまま放置するにとどまった。

そうして日が経ち声にも慣れてきたあたりで、たまたま立ち寄った村の装身具屋のオッサンに、見に覚えのないクエストマーカーがついていたので話しかけた所、俺がどこぞでいつの間にか拾っていたアミュレットの話題に。

そのアミュレットは誰ぞの仇討のためオッサン自身が作り出した魔法のアイテムで、なんでも、所有者の自責の念を増幅させ、最終的には死に追いやるというはた迷惑な呪いのアイテムであり、仇の手元に渡るように仕向けていたようだ。

なんだか聞いたことある話だなと思ったら、自責の念を増幅という作用そのものが謎の声であったと判明。

仇はちゃんと死んでいたかと問われるも、そのような人物に覚えはなく、いや無関係のNPCが死んでたよと返したところでオッサン大ショック。一気に鬱モードに突入し、終いにはアミュレットを身に着けて死ぬべきはこの俺だ、アミュレットをよこせと自暴自棄になっていじけだす始末。

いやアンタ死んでまた別の誰かがアミュレット拾ったらやべーだろ壊せ、という選択肢を選んでアミュレットが破壊されクエストの幕が閉じる。

最後の選択肢次第ではオッサン死亡エンドもあるようで、出会ったばかりの自業自得なオッサンを助ける義理も道理も無いし、自責にかられて死ぬというのがどういう結果を招くのか興味はあったが、常識的で善良な人間のロールプレイをしていたため消去法でオッサン生存ルートを選ばざるをえなかった。

結果的にはその他のクエストと大差ない結末を迎えることとなったが、非常に面白くてインパクトのあるクエストだったし、子供ワスプの一連の現象もこういった後々に伏線として回収されるタイプのクエストなのかもしれない。


改めて考えると、自由度の高さをうたったオープンワールドRPGのクエストは、その大半が使いっ走りで、設定上でプレイヤーは選ばれし者だったりなんだか他の者とは一線を画す存在であったりするのだけど、実際は重要NPCの手のひらの上で踊らされるコマに過ぎず、NPCの希望を叶えるだけのお使いロボットとして右往左往し、プレイヤーの意思がほぼ介在しないところであれしろこれしろを機械的にこなしていくのが主となる。

言ってみればNPCとNPC間の点を繋ぐ線をたどるだけの作業であり、それを指してお使いと称され、いまいちその一連の流れから抜け出せてないのがTESやFalloutシリーズを代表とした同系統RPGのお約束となっている。

しかし、このアミュレットのクエストに関しては(俺の意識が及ぶ限りでは)少なくともゲーム内の誰の意思の影響も受けないまま、偶発的に巻き込まれる形での導入となり、謎の声に当事者として悩まされるプレイヤーの多くは能動的に調査を開始することが容易に想像できる、他にあまり例の無いクエスト形式となっている。(俺自身はあろうことかゲームから飛び出しネットで検索をかけて解決を図ろうとする暴挙にでて、挙句解決を放棄して順応するに至ったが)

NPCを始点とし頼まれてやるか自分を始点とするかの違いであるが、バグか仕様かすらわからない現象に遭遇し、誰に言われるまでもなく疑問の解決に乗り出すというのが新鮮で、とてつもない臨場感を味わえた。


数あるRPGをプレイしてきて、印象に残ってるクエストなんて数えるほどしか無く、Skyrimのラスボス?誰だっけ?ってか俺SkyrimどころかOblivion Morrowind Daggerfallまで全部途中で投げ出してるわという状態であるが、TESシリーズ全体を通して、このアミュレットのクエストはわりと長いこと記憶に留まることになりそうだ。


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余談だが、街中には頻繁にNPCの死体が転がっている。

それも、景観の装飾としてマップ製作者が意図的に配置した類のものではなく、先程まで生きて歩いていたNPCが、目を離した間隙を縫うかの如く次の瞬間には地に横たわって息絶えていたりするのだ。

その原因は暗殺者ギルドかなにかに属するプレイヤーであり、特に意識せずとも比較的高い頻度でほかのプレイヤーがNPCを背後から襲撃している場面に出くわす。

Wikiなどを見てみると、NPCの暗殺は窃盗よりも金になりリスクも少ない行為になりうるらしく、そういった背景がこのような光景を作り出す原因となっているようだ。

おかげで現実における地球上のどこを探しても、ESOの街中以上に治安の悪い場所は存在しないであろうというレベルで荒んでいるが、酷いときにはNPCの復活タイミングと暗殺のタイミングが重なったのか、自分の死体の横でケロッと椅子にすわってくつろぐNPCなども見受けられ、凄惨な地獄絵図というよりはどちらかと言うとシュールなコメディに近い。

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2017/03/19

The Elder Scrolls Online 再び

一昨年の年末あたりに購入して少し遊んで積みゲーと化していたThe Elder Scrolls Online(以下ESO)を、ひと月ほど前から再びプレイしている。

普段何のゲームをやっても課金などしない自分が、月1600円のメンバーシップに登録するくらい楽しめているのだが、その理由は積みゲーとなってる間に大きく変更されたシステムである。

簡単に説明するなら、レベル差による強弱を敵味方双方で取っ払ってしまったというもの。

初期プレイヤーキャラからその辺のザコ敵に至るまで、全て最大レベルのステータスに底上げする補正がかかるため、レベル差などの影響を受けること無く始めからどのエリアの探索も自由にできるという画期的なシステム。

一聞ではあまりにも大胆でゲームバランス自体が崩壊するような気さえする内容のシステムだが、実際のところそれほど違和感なくプレイできている。

ただし、レベルの影響が無くなったとはいえ、レベル自体は存在するし、それによる装備やスキルの制限などもあるため、依然としてレベル1と最大レベルのプレイヤーとでは大きな性能差が生じるようになっているようだ。

そのような変更がなされる以前のESOはほとんど記憶にないため、比較することもかなわず、全体として良くなったのか悪くなったのかなどの突っ込んだ話はできないが、少なくとも俺はこのシステムがかなり気に入っている。

そんなわけで、こういったシステムと広大で多種多様なマップのおかげで、史上最強の観光ときどき戦闘おつかい英語学習ゲームとして満喫できている。


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さらに、このゲームで最も気に入ってるところは、ぼっちでも十分楽しめるということだ。

グループダンジョンなどのパーティ前提のダンジョン攻略やボス攻略はおあずけ状態であるものの、それらを差し引いたとしてもとんでもないボリュームのクエストやロケーションがあるため、ソロプレイヤーにも優しい内容となっている気がする。(他のMMOをまともに知らないので適当)

上の画像のように、ダンジョン深部の玉座に腰掛け他のプレイヤーが訪れるのを待ち、思わせぶりに立ち上がって抜き去った剣で斬りかかるふりをしたり、下の画像のように、町中で盗みを働くプレイヤーを見つけては泥棒密着24時ごっこをしたりと、ぼっちと言っても限りなく二人に近い一人であるかのような、かなり高度なコミュニケーションの機会があるのも嬉しい。


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少し話が逸れるが、数年前に契約したDアニメストアでスキあらばアニメをながら見るようになって以来、いくつかMMO関係のアニメに触れる機会があったのだけど、どのMMOアニメの主人公もみんながみんな他のプレイヤーと冒険している。

ことによっては主人公のまわりを数人の女性が取り巻きハーレムにまで発展し、男女比2:8くらいの信じがたい比率でダンジョン攻略するだけの話をまざまざと見せつけられたりして、「うわぁ、ダンジョンってこんなに沢山のプレイヤーでいくもんなんだ。俺なんて男女比10:0だぜ、10といっても俺一人だけどな!」といった具合の自虐と共にカルチャーショックを受ける。


それはともかくとして、俺のようなぼっちプレイヤーが活躍するアニメはなんかねーのかと、探してみるが、どの作品の主人公にも不思議と仲間がいる。あれもこれもどれもこれもだ。

しかしこの広い世界、俺が思いついたことは必ず誰かが既にやっているものである。

ぼっちプレイヤーを主人公にした、ぼっちを描いた小説の1つや2つ存在しないわけがない。

最近話題の「なろう小説」なんかで探せば、実際に探すつもりはかけらも無かったとしても、間違いなく存在するに違いないのだ。

ではなぜアニメになっていないかと言ったら、人気が無いからだ。

当然である。なぜならば、大衆娯楽作品のお話の大半は人と人との関わりを本流としてストーリーが展開していくものだからだ。

ぼっちを主人公にして、真のぼっちを描いたとしても、ぼっちがぼっちで有り続けるだけでなんの変化も生じ得ないストーリーは面白みに欠けるものになるのが道理である。

かといって、ぼっちに交流させてしまえば、その時点でそいつはぼっちでは無くなるというジレンマが立ちはだかるため、にっちもさっちもいかなくなって話は停滞する。

人と人との交流によって思いがけないストーリーが生み出され展開していくのが面白いのであって、何の変化も無いぼっちのゲーム生活を淡々と見せつけられ、果ては停滞した話の中でぼっちの独白だけを延々と聞かされるのは、それは娯楽ではなく拷問である。

そう、この話はとりもなおさずこのブログの話でもある。