2017/04/30

落書きと雑記

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単色で描くのが楽で好きなんだけど、7年くらい使いっぱなしの発色の悪い液晶モニターだとたまに明暗が潰れてわけわからなくなる。

セールだったのでSniper Elite4を購入したのだけど、シリーズ通して最高レベルに面白い。
チャプターごとに用意された中規模のマップで、複数ある主目標と副次目標を達成していくオープンワールド気味なゲームデザインになっている。
チャプターが進むとロケーションもガラッと変わるので飽きにくい作りになっている。
やることは1作目から殆ど変わっておらず、もうこのシリーズも飽きたな、とストアページで新作の告知が出るたびに思っていたのだが、なんだかんだで気付いたらZombie Armyトリロジー以外の全作品を購入している不思議なタイトル。
やはり弾道描写の演出が病みつきになる一因になっているのだろうけど、一筋縄ではいかない狙撃も未だにまともに当たらないくらい難易度が高いので、そういった部分でも向上心を刺激してくれて未だに飽きないシリーズだ。
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2017/04/03

落書きとフィリスのアトリエ

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珍しく既存のキャラクターを描こうとすると、他の画像とか資料見ながら描かなきゃならなくてメチャクチャ面倒くさい。

版権キャラを描く→何かが足りない→資料見る→このパーツが無かった→最初に戻る

の繰り返しで、最終的に間違い探しになる。

それはともかく、面倒な顔描かなくて済むバケツヘルムが最高すぎる。


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最近はソフィーのアトリエに引き続き、フィリスのアトリエをプレイしているのだが、基本的な部分は殆ど変わっていないにも関わらず依然として楽しめてる。さすが18作もシリーズを重ねているだけあるなと感心してしまう。

ただ、前作にあった戦闘スピードの倍速化がなくなっているのだけは納得いかない。


だいたい、コマンド選択式のRPGなんてボス戦と初遭遇の敵以外はほぼルーチンワークなのだから、倍速と言わず一瞬でカタがついても一向にかまわないのだけど、なんにせよ、もともとできた倍速設定ができなくなったというだけで一気にテンポが悪くなったように感じる。

そもそも、Wizardryのようなエフェクトすら用意されていなかった頃のコマンド選択式戦闘システムの亜種に、3Dアニメーションやエフェクトなんかいちいちつければテンポ悪くなるのは当然だと思う。

その最たる例として今でも強烈に記憶に残っているのがワイルドアームズシリーズだ。

3作目までしかプレイしていないので、その後のシステムがどう改善されたのか、あるいはしていないのかは知る由もないが、魅力的なストーリーとは裏腹に戦闘は経験上最悪と言っていいほどテンポの悪いものだった。

例えるなら、夢の中で走ろうとしても足がもつれたりスローモーションになったりするような、そんな悪夢にも似たもどかしさを感じる恐ろしくローテンポな戦闘だった。


そういう点では、フリーゲームRPGの「おっさん or die」という作品で6倍速戦闘というのがあったが、あれは非常に軽快でこれ以上の解決策などないとすら思えるお手本とも言える戦闘システムだった。

その戦闘速度もさることながら、各キャラのコマンドを予め設定してワンボタンで実行できるプリセットを4つほど登録して、戦闘時に戦況に合わせて即座に実行することができるため、雑魚戦を数秒で終わらせられるほどの軽快さを発揮していた。

そんなわけで、全てのコマンド選択式RPGはこの6倍速設定とプリセットショートカットを用意するべきだと考えているのだが、市販のゲームはどうしても演出面に力が入ってしまって軽快さとはベクトルが逆に向いてしまう傾向があるので、諦めざるを得ない。


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それはともかくとして、やや不満点はあったもののフィリスのアトリエは、なんだかんだで全体的に面白い。

やっぱり海外のRPGと比較すると、JRPGは独自の進化を遂げているというか、やりこみ要素とかシステムの奥行きを(たとえうわべだけでも)感じさせる作りにするのが上手い気がする。

洋ゲーでは直接的に配置してしまうようなギミックを間接的に配置するというか、外人が悪口を直接本人に言うのに対して、日本人は陰口や匿名掲示板で書くような、遠回しなシステムの作りというか、とらえどころのない何らかの何かがJRPGにはあるのかもしれないが、少なくともこの一連の俺の文章に中身が無いのは間違いない。

2017/03/22

The Elder Scrolls Online その2 不気味な声


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GreenShade地方でワスプと戦ってると、戦闘終了後に足元から子供ワスプ2体が脈絡なくスポーンして互いに喧嘩を始める。さらに、そのうちの一体がなぜか友好的で街にまでくっついてくるため妙に可愛く感じるんだけど、一定時間で消滅してしまうし原因不明だしでなんだか気持ち悪い。

恐らくこの子供ワスプをどこかに連れて行くことで進行するタイプのクエストがあったりするのだろうけど、少なくともそれっぽいクエストは受けた記憶が無い。


よくよく考えると2週間ほど前にも似たようなことがあった。

それは、Grahtwood地方で敵を倒した直後「また一つ命を奪ったな」といったプレイヤーの罪悪感を想起させるような男の声が聞こえてきて、辺りを見渡しても誰もいないということが何度か続いた。

敵を倒すたびに発生するわけでもなく、忘れた頃に声が聞こえてくる程度の頻度であったが、リアルで1日経過しても治らず、あまり他のゲームでも経験のない不可解な事態だったので、少し不気味に感じて軽くネットで検索をかけてみたりして原因究明に乗り出したけど、結局これといった情報も得られなかった。

とはいえ、声のするタイミングに作為的なものを感じたし、変なバグとして片付けるよりはこの地方特有の不可思議な現象と仮定し、作中でもしっかり言及されていたものの英文のためうっかり見落としてしまったのだろうと、そのまま放置するにとどまった。

そうして日が経ち声にも慣れてきたあたりで、たまたま立ち寄った村の装身具屋のオッサンに、見に覚えのないクエストマーカーがついていたので話しかけた所、俺がどこぞでいつの間にか拾っていたアミュレットの話題に。

そのアミュレットは誰ぞの仇討のためオッサン自身が作り出した魔法のアイテムで、なんでも、所有者の自責の念を増幅させ、最終的には死に追いやるというはた迷惑な呪いのアイテムであり、仇の手元に渡るように仕向けていたようだ。

なんだか聞いたことある話だなと思ったら、自責の念を増幅という作用そのものが謎の声であったと判明。

仇はちゃんと死んでいたかと問われるも、そのような人物に覚えはなく、いや無関係のNPCが死んでたよと返したところでオッサン大ショック。一気に鬱モードに突入し、終いにはアミュレットを身に着けて死ぬべきはこの俺だ、アミュレットをよこせと自暴自棄になっていじけだす始末。

いやアンタ死んでまた別の誰かがアミュレット拾ったらやべーだろ壊せ、という選択肢を選んでアミュレットが破壊されクエストの幕が閉じる。

最後の選択肢次第ではオッサン死亡エンドもあるようで、出会ったばかりの自業自得なオッサンを助ける義理も道理も無いし、自責にかられて死ぬというのがどういう結果を招くのか興味はあったが、常識的で善良な人間のロールプレイをしていたため消去法でオッサン生存ルートを選ばざるをえなかった。

結果的にはその他のクエストと大差ない結末を迎えることとなったが、非常に面白くてインパクトのあるクエストだったし、子供ワスプの一連の現象もこういった後々に伏線として回収されるタイプのクエストなのかもしれない。


改めて考えると、自由度の高さをうたったオープンワールドRPGのクエストは、その大半が使いっ走りで、設定上でプレイヤーは選ばれし者だったりなんだか他の者とは一線を画す存在であったりするのだけど、実際は重要NPCの手のひらの上で踊らされるコマに過ぎず、NPCの希望を叶えるだけのお使いロボットとして右往左往し、プレイヤーの意思がほぼ介在しないところであれしろこれしろを機械的にこなしていくのが主となる。

言ってみればNPCとNPC間の点を繋ぐ線をたどるだけの作業であり、それを指してお使いと称され、いまいちその一連の流れから抜け出せてないのがTESやFalloutシリーズを代表とした同系統RPGのお約束となっている。

しかし、このアミュレットのクエストに関しては(俺の意識が及ぶ限りでは)少なくともゲーム内の誰の意思の影響も受けないまま、偶発的に巻き込まれる形での導入となり、謎の声に当事者として悩まされるプレイヤーの多くは能動的に調査を開始することが容易に想像できる、他にあまり例の無いクエスト形式となっている。(俺自身はあろうことかゲームから飛び出しネットで検索をかけて解決を図ろうとする暴挙にでて、挙句解決を放棄して順応するに至ったが)

NPCを始点とし頼まれてやるか自分を始点とするかの違いであるが、バグか仕様かすらわからない現象に遭遇し、誰に言われるまでもなく疑問の解決に乗り出すというのが新鮮で、とてつもない臨場感を味わえた。


数あるRPGをプレイしてきて、印象に残ってるクエストなんて数えるほどしか無く、Skyrimのラスボス?誰だっけ?ってか俺SkyrimどころかOblivion Morrowind Daggerfallまで全部途中で投げ出してるわという状態であるが、TESシリーズ全体を通して、このアミュレットのクエストはわりと長いこと記憶に留まることになりそうだ。


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余談だが、街中には頻繁にNPCの死体が転がっている。

それも、景観の装飾としてマップ製作者が意図的に配置した類のものではなく、先程まで生きて歩いていたNPCが、目を離した間隙を縫うかの如く次の瞬間には地に横たわって息絶えていたりするのだ。

その原因は暗殺者ギルドかなにかに属するプレイヤーであり、特に意識せずとも比較的高い頻度でほかのプレイヤーがNPCを背後から襲撃している場面に出くわす。

Wikiなどを見てみると、NPCの暗殺は窃盗よりも金になりリスクも少ない行為になりうるらしく、そういった背景がこのような光景を作り出す原因となっているようだ。

おかげで現実における地球上のどこを探しても、ESOの街中以上に治安の悪い場所は存在しないであろうというレベルで荒んでいるが、酷いときにはNPCの復活タイミングと暗殺のタイミングが重なったのか、自分の死体の横でケロッと椅子にすわってくつろぐNPCなども見受けられ、凄惨な地獄絵図というよりはどちらかと言うとシュールなコメディに近い。

2017/03/19

The Elder Scrolls Online 再び

一昨年の年末あたりに購入して少し遊んで積みゲーと化していたThe Elder Scrolls Online(以下ESO)を、ひと月ほど前から再びプレイしている。

普段何のゲームをやっても課金などしない自分が、月1600円のメンバーシップに登録するくらい楽しめているのだが、その理由は積みゲーとなってる間に大きく変更されたシステムである。

簡単に説明するなら、レベル差による強弱を敵味方双方で取っ払ってしまったというもの。

初期プレイヤーキャラからその辺のザコ敵に至るまで、全て最大レベルのステータスに底上げする補正がかかるため、レベル差などの影響を受けること無く始めからどのエリアの探索も自由にできるという画期的なシステム。

一聞ではあまりにも大胆でゲームバランス自体が崩壊するような気さえする内容のシステムだが、実際のところそれほど違和感なくプレイできている。

ただし、レベルの影響が無くなったとはいえ、レベル自体は存在するし、それによる装備やスキルの制限などもあるため、依然としてレベル1と最大レベルのプレイヤーとでは大きな性能差が生じるようになっているようだ。

そのような変更がなされる以前のESOはほとんど記憶にないため、比較することもかなわず、全体として良くなったのか悪くなったのかなどの突っ込んだ話はできないが、少なくとも俺はこのシステムがかなり気に入っている。

そんなわけで、こういったシステムと広大で多種多様なマップのおかげで、史上最強の観光ときどき戦闘おつかい英語学習ゲームとして満喫できている。


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さらに、このゲームで最も気に入ってるところは、ぼっちでも十分楽しめるということだ。

グループダンジョンなどのパーティ前提のダンジョン攻略やボス攻略はおあずけ状態であるものの、それらを差し引いたとしてもとんでもないボリュームのクエストやロケーションがあるため、ソロプレイヤーにも優しい内容となっている気がする。(他のMMOをまともに知らないので適当)

上の画像のように、ダンジョン深部の玉座に腰掛け他のプレイヤーが訪れるのを待ち、思わせぶりに立ち上がって抜き去った剣で斬りかかるふりをしたり、下の画像のように、町中で盗みを働くプレイヤーを見つけては泥棒密着24時ごっこをしたりと、ぼっちと言っても限りなく二人に近い一人であるかのような、かなり高度なコミュニケーションの機会があるのも嬉しい。


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少し話が逸れるが、数年前に契約したDアニメストアでスキあらばアニメをながら見るようになって以来、いくつかMMO関係のアニメに触れる機会があったのだけど、どのMMOアニメの主人公もみんながみんな他のプレイヤーと冒険している。

ことによっては主人公のまわりを数人の女性が取り巻きハーレムにまで発展し、男女比2:8くらいの信じがたい比率でダンジョン攻略するだけの話をまざまざと見せつけられたりして、「うわぁ、ダンジョンってこんなに沢山のプレイヤーでいくもんなんだ。俺なんて男女比10:0だぜ、10といっても俺一人だけどな!」といった具合の自虐と共にカルチャーショックを受ける。


それはともかくとして、俺のようなぼっちプレイヤーが活躍するアニメはなんかねーのかと、探してみるが、どの作品の主人公にも不思議と仲間がいる。あれもこれもどれもこれもだ。

しかしこの広い世界、俺が思いついたことは必ず誰かが既にやっているものである。

ぼっちプレイヤーを主人公にした、ぼっちを描いた小説の1つや2つ存在しないわけがない。

最近話題の「なろう小説」なんかで探せば、実際に探すつもりはかけらも無かったとしても、間違いなく存在するに違いないのだ。

ではなぜアニメになっていないかと言ったら、人気が無いからだ。

当然である。なぜならば、大衆娯楽作品のお話の大半は人と人との関わりを本流としてストーリーが展開していくものだからだ。

ぼっちを主人公にして、真のぼっちを描いたとしても、ぼっちがぼっちで有り続けるだけでなんの変化も生じ得ないストーリーは面白みに欠けるものになるのが道理である。

かといって、ぼっちに交流させてしまえば、その時点でそいつはぼっちでは無くなるというジレンマが立ちはだかるため、にっちもさっちもいかなくなって話は停滞する。

人と人との交流によって思いがけないストーリーが生み出され展開していくのが面白いのであって、何の変化も無いぼっちのゲーム生活を淡々と見せつけられ、果ては停滞した話の中でぼっちの独白だけを延々と聞かされるのは、それは娯楽ではなく拷問である。

そう、この話はとりもなおさずこのブログの話でもある。

2017/03/14

C-4爆薬はおやつに入るのだろうか

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STEAMのアイコンを変えるべく奮闘した。

デフォルメキャラにC-4を持たせたいという思いが最後はC-4を食べさせるに至るまでの変遷となっている。

なんかこう、素人が精一杯背伸びした学園祭ポスター程度には小奇麗にまとまった、恐らくこれまで俺が創作した中で一番丁寧な作品となったが、依然として線は閉じてないし塗りもはみ出ている。

ちなみに先日書き進めていたこの記事の下書きでは、しっかり線を閉じなかったり塗りがはみ出したりとか、そういう細かい部分を怠ることについての正当性を2万字くらい長々と書いたのだけど、現代アーティストをダシにして自身の不手際の弁明を図ったり、最終的には実績を伴う偉い画家が「創作なんて適当でいいんだよ」といった内容の名言を説得力のある形で残してくれればこんな長々と書き連ねる必要もなかったという、とんでもない責任転嫁を遂げていった。

半分おふざけで書いてる文章とは言え、一晩明けた後に改めて推敲したところ、気持ちの引きっぷりが半端なかったので思い切って省略。


C-4は食べると甘いという雑学を昔聞いて以来、頭のなかでごっちゃになって、米軍の前線が食糧事情に困ったときにご飯の代わりにC-4食ってたとか、そういうレベルの話にまで記憶が改ざんされていたので改めて調べなおしてみたが、そういった事実は見つからなくて少し残念。

ついでにC-4は粘土質で、簡単に成形したり爆発力を調整したりがお手軽にできるらしく、その上例えそのまま火にくべても爆発せず燃焼するだけという安定性を誇り、実際燃焼剤としても使われていたと全部全部ぜーんぶWikiに書いてあることの受け売りたが、じゃあそんなC-4を爆発させることができる起爆装置や雷管はどういった仕組みなんだ、むしろそっちの方が凄いんじゃないかと見当違いの方向に興味が湧く始末。